弁護士 仲村渠 桃

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、沖縄だけでなく全国的にも「本土復帰」が話題となっていますね。各地で沖縄物産や沖縄料理屋台を集めたイベントが開かれたり、大手コンビニでも沖縄料理が販売されたり、沖縄を舞台にした朝ドラ「ちむどんどん」も放映され、沖縄に注目が集まっているのは出身者としては嬉しくも思います。

 復帰当時、私はまだ生まれていませんでしたので、父に復帰前後の事を振り返ってもらいました。父が初めて「本土」に足を踏み入れたのは、復帰前の1970年、修学旅行です。船で鹿児島へ入り大阪まで汽車を乗り継ぐ中、行き交う日本語が理解できることに新鮮な感動を覚えたそうです。曰く、「テレビとおんなじしゃべり方だ!」と。その2年後の1972年5月15日、沖縄が本土に復帰したその日、私の父は山梨県の専門学校寮で同郷の友人と共に「祝 祖国復帰」の旗を掲げて祝杯をあげたそうです。若かった父は、これで、沖縄も良い方向に変わるんだと期待を胸に抱いたそうです。

 しかし復帰後も重い基地負担やここから派生する事件事故・騒音などの被害、全国平均よりはるかに低い県民所得など、沖縄の抱える様々な問題は今も変わりません。

 1965年に初めて日本の首相として沖縄を訪れた佐藤栄作は、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後は終わっていない」と述べました。日米交渉によりめでたく復帰が叶って50年、沖縄が未だ抱える様々な問題を置き去りにし、復帰を過去のこととして単純に祝うのではなく、「沖縄の問題」ではなく「日本の問題」として考える節目の日として5月15日を覚えてもらいたい、と一県出身者としては感じています。

沖縄本土復帰日当日 祝杯のスナップ