弁護士 新井 章

 結核入院患者への生活扶助費(日用品費)が月額600円では余りに低額に過ぎ、憲法25条や生活保護法が保障する「健康で文化的な生活」は到底営んでいけないとして、国立岡山療養所の患者朝日茂さんが1957(昭和32)年に起こした「生活保護訴訟」は、幸いにも第一審東京地裁が原告側の訴えを全面的に受け容れ、厚生大臣の定める「生活保護基準」は憲法25条等の要請を満たさぬ違憲違法な措置だと裁定する、画期的な判決を下してくれました(60年)。

 その後裁判は高裁・最高裁と進められ、最終的には「朝日茂の死亡により裁判は終了した」と宣言されて閉幕しましたが(最高裁判決67年)、しかし、10年にわたったこの裁判闘争は、ひろく国民に改めて憲法25条の存在とこれによる生存権保障の意義を“確認”させる契機となり、戦後わが国の憲法・人権史上に輝かしい足跡を残すこととなりました。

 ところで、この訴訟の第一審段階を担当して、3年間の闘いをやり遂げた弁護団のメンバーが、就業後間もない若手二人(新井と渡辺良夫)に止まっていたことは余り知られていませんが、これほどの重要な憲法・人権闘争への取り組みとして果たして適切であったかは問わるべき余地があり、今日でも検討の要があると感じております。