弁護士 加藤文也

 盛岡の岩手山を遠くに臨む城跡の公園には、啄木の

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

の歌碑が建っている。

 私の高校卒業アルバムには、共に学び、語り、遊んだバンカラ姿の仲間たちといっしょに撮った、この公園にある新渡戸稲造の石碑によじ登ったり、その石碑をとり囲んだセピア色の写真が掲載されている(ちなみに、その石碑には「願わくは、われ、太平洋の橋とならん」と刻まれていた)。

 この夏、高校入学50年目の同窓会を東京で開いたところ、80名を超える仲間が集まった。私たちが普段使っている「自由」という言葉の語源は、古代ギリシャのポリス(都市国家)において、共同体に抱かれながら市民として仲間とともに協同して生活する感覚の中から生まれたという。

 私が、あの時代を故郷の情景とともに懐かしく思いだすのは、あの青春時代が、とりわけ自由であったとの思いと深く結び付いているように思われる。

朋あり 遠方より来たる
亦 楽しからずや