以上のようにみてくると、この10年程の間の事務所(メンバー)の活動も、教育・教師・子どもの問題をはじめ、生活保護等の社会保障問題、軍用基地空港の騒音問題、私学労働者の雇用・待遇問題、消費者や医療をめぐる安全確保の問題、いわゆる戦後補償問題等々、国民生活の幅広い分野にわたって展開されていることが判ります。
1 ただし、これはそれ以前の40年にわたってこの事務所の弁護士メンバーが取り組んできた活動分野とおおむねオーバーラップしており、別言すれば、それまでの当事務所の先人が取り組んできた弁護士活動のレパートリーを受け継ぎつつ、それらを発展させ、活動を続けてきたことを意味しています。私達の事務所は、幸せなことに、これらの諸活動を通じて、憲法や人権にかかわる裁判事件に熱心な法律事務所としてそれなりの社会的評価を頂戴してきましたし、私達事務所メンバーはそのことに法曹としての誇りを感じてもきましたので、かような名誉ある伝統がこの10年間も受け継がれ、維持・発展されてきたことを喜び、安堵もしております。
2 もっとも、わが事務所を支えてきた弁護士の顔ぶれは、この2~30年を振り返っても、かなりの程度入れ替わっています。
長きにわたって事務所の諸活動に貢献してきた尾山・大森・高野・門井・吉田弁護士らがこの10年を迎える前にそれぞれの事情から退所していた一方で、彼らと入れ替わるように加納・渕上・船江・松川・仲村渠といったメンバーが順次新たに加わり、新井・田原・江森・金井といった古参メンバーや加藤・斉藤・井沢・村山・菅沼といった中間世代と協働して、ここ10年の事務所の活動実績を築くのに力を発揮してきました。
たとえば、教育・教師・子どもにかかわる教育裁判や支援活動等の分野では、加藤・村山を援けて松川が、また、社会保障裁判の分野では新井を支えて渕上が、米軍横田基地の騒音公害裁判では加納に加えて仲村渠が、私学労働者の権利問題では田原・江森らに協働して加納・渕上・船江らが、戦後補償裁判では斉藤に加えて渕上が、といったようにです。
3 このようにして、この10年間も、労働者・労働組合や社会的弱者の法律的援護、そして憲法・人権に関わる社会的事件の弁護活動を旨とした当事務所の伝統は失われることなく、 “堅持”されてきたといえるように思いますが、それにしても、この10年とそれ以前の時期とでは、私達の法律事務所をとり巻く社会的環境(政治・社会・経済等の状況)に予想を超えた大きな変化が生じており、さような社会情勢の変化・進展が、私達の事務所集団の活動のありようにも少なからぬ影響を与え始めております。
たとえば、私達の事務所は長い間、官公庁や学校・鉄道等に勤務する公務労働者の賃金や労働条件を確保し、労働組合の基本権を擁護するための弁護活動に従事し、全国的にも主要な法律事務所の一つと目されてきましたが、1990年代初頭に労働組合のナショナルセンターである「総評」が解散して、「連合」に代わった頃から様相が一変して、労働裁判事件の依頼は激減し、今では私学労働者の地位・身分や待遇問題についての弁護活動が中心となっています。
そして、それとの関わりで、わが事務所の活動領域も労働公安事件や憲法・人権事件から一般市民事件へと、次第に中心が移ると同時に、憲法・人権事件の取り扱い内容も変化して、嘗ての教科書検定裁判のように事務所を挙げて取り組み、メンバーのほぼ全員が参加するといった仕方ではなく、当事務所の然るべきメンバーが他の法律事務所の弁護士達と共同して、大規模裁判事件の処理に当たるといった方式が主流となっています(例えば日の丸・君が代裁判や戦後補償裁判、生存権訴訟、米軍横田基地騒音公害訴訟等はいずれも然り)。
4 以上のごとくして、私達の事務所はこの10年を含め、これまで50年にわたって、社会的弱者の人達の“味方”を標榜しつつ、平和・民主・人権のすぐれた現憲法を拠り所として奮闘を続けてきましたが、今後もこの“旗”を高く掲げて、前進して参りたいと念じております。
もとより昨今の厳しい経済情勢や弁護士人口増員政策の下で、法律事務所の経営も予断を許さない状況に迫られてはおりますが、この点でも私達の事務所は体制を立て直し、強化して、困難を乗り切って参る所存でおります。皆様の変わらぬご支援とご鞭撻を心よりお願い申し上げる次第です。