私どもの法律事務所は1963年の発足当初から、国民の人権や生活にかかわる憲法的裁判事件を数多く手がけてきましたが、その一環として、生活保護等の社会保障(制度)に関する法律問題や裁判事件にも取り組んできました。
1 朝日訴訟等の社会保障裁判
古くは生活保護基準の引き上げを求めて闘われた「朝日訴訟」(1957~67年)から、障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止する立法を不合理な差別として争った堀木訴訟(1970年~82年)への参加をはじめとして、90年代に入ってからも、政府・厚生省による生活保護「適正化」通達(1981年)に基づいて、全国各地で強行された生活保護締め付け措置にあらがう裁判諸事件に、事務所のメンバーの多くが関与し、それなりの成果を挙げてきました(新井・大森・高野・加藤・菅沼ほか)。
例えば秋田の高齢の被保護者夫妻が、乏しい保護費の中から一部を割いて、将来の入院諸費用等の必要に備えて貯金していたのを、保護当局が咎めてこれを「資産」と認定し、その分保護費を減額した処分に対して、その取消しを求めて提訴した事件(1990~93年 原告勝訴)や、同じく保護費の一部を割いて、娘の高校進学のための学資保険の保険料に宛ててきたのを保護当局が咎め、10年以上も保険料を払って漸く支給された満期保険金を「収入」と認定して、その分保護費を削った措置を違法として争った福岡の中嶋訴訟(1991~2004年 最高裁でも勝訴)など、がそれです。
2 障害学生無年金訴訟
かような実績をバックにして、2001年には、国民年金制度の不備により、20才過ぎても学生の身分であったがゆえに、一般国民とは違って国民年金制度に(強制)加入させられず、そのため、未加入の間に事故等で障害を負った学生達が、無年金のまま20年以上も“制度の谷間”に放置されてきたのを、政府・国会の怠慢(立法の不作為)として全国各地の裁判所に“告発”した「障害学生無年金訴訟」の闘いにも参画することとなりました(新井・高野・菅沼が担当)。
これらのメンバーが担当したのは、東京地裁に係属した原告(元学生ら)4名の国家賠償請求等の訴訟でしたが、幸いにも第一審(藤山雅行裁判長)は原告側の主張を大筋で受け容れ、長い間障害学生らを無年金状態に放置してきた政府・国会の不作為を違憲状態と認定し、原告全員に勝訴判決を言渡しました。
この画期的な判決は、残念なことに控訴審判決で逆転され(2005年)、そのまま上告審判決となって終わることになりましたが(2007年)、他方で、この第一審判決の直後から、国会の野党議員らの働きかけが活発となり、与党議員らも巻き込んで、2004年12月には議員立法の形で「特別障害給付金支給法」(略称)を成立させ、月額4~5万円の障害年金の支給を実現させたのでした。
3 生存権裁判
そして、2005年以降、全国12地裁で提訴され闘われている「生存権裁判」にも、当事務所は東京訴訟の事務局事務所として積極的に取り組んでいます(新井弁護団長、渕上事務局長)。
(1) 小泉内閣は、2003年、“構造改革”の一環として、それまで約40年にわたり高齢の生活保護受給者に支給されていた老齢加算廃止の方針を打ち出し、翌2004年度より老齢加算を段階的に廃止し、さらに、いわゆるひとり親世帯に支給されていた母子加算についても2005年度より段階的に廃止しました。「生存権裁判」はこうした老齢加算、母子加算の廃止の違法性を争う裁判です。
憲法25条は生存権を保障していますが、そこでいうところの「健康で文化的な最低限度の生活」の水準は、具体的には、厚生労働大臣が定める生活保護基準として表されることになっており、老齢加算、母子加算もこうした生活保護基準の一部を構成するものでした。そして、生活保護基準は最低賃金、社会保障給付、保険料・税等の負担など他の諸制度・諸施策と連動しており、保護基準の変更は国民生活全般に重大な影響を及ぼします。この生活保護基準そのものを問う裁判は約40年前の「朝日訴訟」以来のものであり、生活保護基準の“引き下げ”の違法性を問うという意味では戦後初の裁判でした。
(2) 老齢加算、母子加算の廃止は財政目的であることは明らかですが、政府は、「検証」を行ったところ、いわゆる“一般低所得世帯”の消費水準と生活保護基準とを比較すると生活保護基準額の方が高かったので、老齢加算、母子加算はその必要性を失ったと、尤もらしい「根拠」を主張しています。しかし、その「検証」なるものは極めて恣意的なものであり、到底信頼することはできません。
そして、仮にその点を措くとしても我が国の生活保護の捕捉率(要保護者のうち実際に生活保護を受けている人の割合)は約15パーセントと他の先進国と比較して異常に低いのです。北九州の餓死事件に象徴されるように福祉事務所によるいわゆる“水際作戦”等によって生活保護受給権が違法に侵害されている人や様々な理由により生活保護申請を行わない人が多く、その結果、“一般低所得者”の中には本来であれば生活保護を受給できるのに生活保護基準以下の生活を余儀なくされている人々が多数含まれています。そのような“一般低所得者”の消費水準との比較において生活保護基準の引下げを正当化すれば、保護基準の無限の引下げを招き、生存権保障は「絵に描いた餅」になってしまいます。
(3) 各地裁判の中では、北九州訴訟で福岡高裁が政府当局を断罪し、原告勝訴判決を下すなどしましたが(ただし、最高裁で破棄され、現在は福岡高裁で差戻審が係属中)、当事務所所員が中心的に取り組んだ東京訴訟については、残念ながら2012年2月に言い渡された最高裁判決により敗訴が確定しました。しかし、他方、東京訴訟を含め全国で裁判が闘われている中で、2007年には当時の自公政権が画策した生活
保護基準「本体」の引き下げを断念させ、さらには、2009年民主党政権への政権交代時には母子加算を復活させるなど、裁判外での成果を得てきました。
第二次安倍内閣は、再び、生活保護基準の引き下げの方向に梶を切りましたが、その手法は、小泉内閣が行った老齢加算・母子加算廃止の際の手法を繰り返すものです。
国民の生存権を守る上で、現在も最高裁、高裁、地裁に係属中である東京訴訟以外の各地の裁判での闘いの意義は大きいといえます。