在日米軍横田基地の騒音被害を訴えて地元住民が裁判を最初に起こしたのは1976年。1993年の最高裁判決で横田基地の騒音が違法なレベルにあると認定され、1996年に提起された新横田基地訴訟では、基地に隣接する自治体にとどまらず、9市1町に及ぶ地域住民の騒音被害が認められました。2005年の東京高裁判決では、「(いまだに補償制度すらないのは)法治国家のありようから見て、異常の事態で、立法府は、適切な国防の維持の観点からも、怠慢の誹りを免れない。」と国の対応が厳しく非難されました。日米安保体制による国防の必要性を言うなら、周辺対策と被害補償もきちんとしなければならないという、当然の指摘がなされたわけです。
ところが、新訴訟終了後、米軍再編の中で横田基地も自衛隊との共同作戦の重要拠点として位置付けられ、航空自衛隊航空総隊司令部が移駐し、自衛隊横田基地が新設されるなど、基地機能はますます強化されてきました。その一方で、周辺対策の前提となる被害地域の線引きは、比較的飛行回数の少なかった時期の測定データを元に大幅に縮小され、被害補償については放置されているのが実情です。
こうした中で、地元住民は改めて飛行制限と被害補償を求める裁判を起こす決意をしました。違法な騒音から家族の団らんを守りたい。そんなささやかな願いを叶えるため、この春にも第2次新横田基地公害訴訟が始まります。国際関係にきな臭い動きがある今だからこそ、声を上げなければ守るべきものも失われかねません。提訴を前に弁護団も結成され、東京中央法律事務所からも、私と仲村渠弁護士が参加しています。
皆様のご関心をお寄せいただきますようお願いいたします。