70歳超の高齢者の生活扶助費月額10万円弱から、老齢加算分2万円程を一律カットする保護基準の切り下げは(カット率約20%)、高齢者世帯の生活を脅かし、「健康で文化的な最低限度の生活」の保障(憲法25条)を奪うものだと主張して、厚生労働大臣の老齢加算廃止措置の取消しを求める「生存権裁判」は、2005年(平成17年)頃から全国10地裁で取組まれてきました。

 それから7年後の今年、裁判は地裁→高裁の段階を経て、この春漸く最高裁判所の判決を迎えましたが、2月の東京事件の判決では原告側の全面敗訴、4月の福岡事件の判決では原告勝訴であった福岡高裁の判決を破棄して、同高裁に審理のやり直しを命ずるという内容で、いずれも原告高齢者達には残念な結果となりました。

 こうして、この裁判闘争も一つのヤマ場を越えることになりましたが、それでもなお、この後に京都・広島・新潟・秋田など各地の裁判事件が控えていて、今般の最高裁判決の”是正”を求め、粘り強く”挑戦”を続けていくことが予定されています。

 もともと老齢加算の廃止は、母子加算の廃止とともに、小泉内閣の「2003年骨太の方針」のトップに掲げられた社会保障費削減政策の”目玉”商品であり、向こう5年間で1兆1千億円を何が何でも削減するという強行方針の所産であったところに、その本質的な政治性があり、憲法25条の生存権保障の原則とは相容れない違憲性が付きまとっていました。

 私たち原告側は、この点にメスを加えることこそがこの裁判のポイントであり、財政的動機のみに発し、社会保障的配慮を全く欠いた加算廃止の措置は憲法25条違反だと批判したのでしたが、今般の最高裁判決は「国の財政が苦しい時に社会保障費が減らされるのは当たり前だ、それで何が悪いか」といった調子の”開き直り”の態度で、私達を唖然とさせ、憤慨させたのでした。

 今から約50年前に、朝日訴訟の第一審判決で東京地裁(浅沼武裁判長)が、憲法25条の保障する「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」と喝破したことと対比して、一体どちらが「憲法の番人」かと思わずにはいられません。

 いずれにせよ私達弁護団は、これからも高齢者国民の「人間らしい生活」の実現のために、めげることなく奮闘を続ける所存でおります。