人間は年をとって初めて気づくこと、判ることが少なくない。その一つ。
あるとき何気なしに口ずさんでいたら、ハッと気がつくと同時に、ゾッとして心が凍るほどの思いがしたことがある。それはかの小学唱歌「浦島太郎」の歌詞だ。
ご承知のように、この歌は、「昔々浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城に来てみれば、絵にも描けない美しさ」で始まり、次いで、「乙姫様のご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り、ただ珍しく面白く、月日の経つも夢のうち」に過ぎて、やがて「遊びに飽きて気がついて」、お暇乞いもそこそこに「帰ってみればこは如何に、元いた家も村も無く、路に行きあう人々は顔も知らない者ばかり」で、呆然と立ちすくむ太郎が「心細さに蓋とれば、開けて悔しき玉手箱(乙姫様の土産物)、中からパッと白烟り、たちまち太郎はお爺さん」で、一巻の終わりというのが内容である。
それこそ私も昔は、この歌の中の竜宮城や乙姫様に魅せられて、その華やかさに心を奪われ、浦島さんを羨ましく思ったりしたものだが、80歳の今となってみれば、この歌の言葉の、余りのあけすけさ、人生の実相を見透かしたような妥協なき冷徹さ(もっと言えば残酷さ)に息をのむ思いである。わけても「中からパッと白烟り、たちまち太郎はお爺さん」という結びの句の突き放した云い方には、言う言葉もない。
この尋常小学唱歌は、明治44年(1911年)当時の文部省により小学2学年用として編集公刊されたもののようだが、この歌に秘められた上記のような人生哲学的な意味合いが、果たしていたいけな小学生にどれ程に受け留められてきたのだろうか。顧みて私は、これまでの長い年月を「乙姫様のご馳走に」預かり続けて、「ただ珍しく面白く」過ごしてきたのではなかったかと、粛然たる思いで今はいる。