今年の北京オリンピックは、チベット問題や世界各地での聖火リレー「妨害」などの問題とともに語られ、記憶されることと思われるが、オリンピックと政治問題との関わりはヒットラーが開会宣言を行ったベルリンオリンピック(1936年)をはじめとして、なかなかに深いものがある。私自身がリアルタイムで覚えているオリンピックは、多分メキシコ(1968年)からであるが、この時に米国の黒人陸上選手2人が人種差別に抗議して表彰台の上で黒い手袋の手を掲げていた姿は幼い子どもにもインパクトがあった。1972年のミュンヘンオリンピックでは、最近スピルバーグ監督によって映画にもなった「ミュンヘンオリンピック事件」(パレスチナゲリラによってイスラエル選手団が襲撃された)が起きた。TV番組「ミュンヘンへの道」を見て男子バレーの活躍に期待をふくらませていた小学生にとっても、衝撃的な事件だった。1976年のモントリオールオリンピックでは、「白い妖精」コマネチの演技に釘付けになったが、他方で南アフリカのアパルトヘイト問題をめぐって多くのアフリカ諸国が参加をボイコットしている。1980年のモスクワオリンピックは前年のソ連のアフガニスタン侵攻を受け、西側諸国(もはや死語ですね)の一員として日本もボイコット。1984年のロサンジェルスオリンピックにはその報復としてソ連・東欧諸国がボイコットした。1988年のソウルオリンピックと1992年バルセロナオリンピックの間に東西冷戦が終結。1996年のアトランタオリンピックの後、2000年のシドニーオリンピックでは、北朝鮮と韓国が統一旗のもとに合同入場したり、聖火の最終ランナーをアボリジニの選手がつとめるなど、平和の祭典にふさわしい明るい話題も少なくなかった(日本人にとってはQちゃんの笑顔のゴールが忘れられない)。
その後、2004年のアテネオリンピックでは困難な世界情勢の中、厳重な警備体制のためか大きな事件はなく、いよいよ北京オリンピック。開催までにはいろいろあったが平和と友好に満ちたすばらしい大会だった、と思えるようなものであってほしいと思う。