5月24日、東京地裁で、中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟が結審しました。判決は、来年1月30日に言い渡されます。

 日本政府は、戦前、国策として多くの国民を開拓民として「満州」(中国東北部)に送出しましたが、1945年8月ソ連軍が「満州」に侵攻すると、日本軍(関東軍)は開拓民等を保護せず撤退しました。そうした状況の中で幼くして肉親と離別し、中国に取り残された人達が中国「残留孤児」です。戦後も、日本政府は長い期間、これら「孤児」らを帰国させる政策をとりませんでした。「孤児」らの日本への永住帰国が本格化したのは日中国交回復からさらに14年も経った1986年以降であり、「孤児」らは戦後40年もの期間帰国を待たされたのです。その間、「孤児」らは日本の侵略戦争の責任を一身に負わされて迫害を受けるなど中国において苦難の人生を過ごしました。

 祖国日本を慕ってやっとの思いで帰国した「孤児」らに対する日本政府の対応は冷たいものでした。政府は、中国社会において言語、習慣等を身につけた「孤児」らに対して、日本社会に適応できるような十分な支援策を施すことのないまま、生活保護から「自立」するよう促しました。そのため、「孤児」らは日本語も不十分なまま低賃金・重労働の仕事への就労を余儀なくされました。その結果、「孤児」らの約9割が今でも十分な日本語を話せず、日本社会で孤立しています。また、日本で就労した期間が短いため年金も僅かな金額しか支給されず、約7割が生活保護を受けざるを得ない状況となっています。北朝鮮による拉致被害者に対する処遇とは大きな違いです。

 「孤児」らは、せめて老後を安心して過ごせるよう国会請願等を行ってきましたが、その願いは聞き入れられることはなく、やむなく裁判に立ち上がりました。日本に帰国した中国「残留孤児」は約2400名、その9割近くの2192名が全国15の地方裁判所及び一つの高等裁判所で裁判を闘っています。このことだけからも「孤児」らの現在置かれている切迫した状況とその要求の切実さが推し量れるでしょう。この度、結審を迎えたのはこれら「残留孤児」原告のうち2002年12月に最初に裁判に立ち上がった40名です。

 当事務所からは、斉藤弁護士と私が弁護団に参加しています。この裁判の行方に注目していただくとともに、ご支援いただくようお願い致します。