2003年は世界的にSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るい、全国の学校では、海外修学旅行の中止・延期が相次ぎました。K先生が勤務している下北沢成徳高校でも、6月にオーストラリアへの海外修学旅行が予定されていましたが、保護者からは修学旅行に対する不安の声が多く上がり、修学旅行不参加を申し出る生徒が続出しました。その結果、修学旅行は延期となりました。
そうしたところ、一学期の終業式の日に、突然、K先生は解雇の通告を受けたのでした。学年主任をしていたK先生は、保護者の意見を汲み取り、他の学年担任の教員とも相談のうえ、学園に対して、海外修学旅行を延期するよう意見を述べていたのですが、そのことが学校方針に反するとして解雇されたのです。
K先生と教職員組合は、解雇の撤回を求めて、団体交渉、都労委での斡旋手続を行いましたが、学園は解雇を撤回せず、遂に法的手続きがとられることとなりました。
K先生は、2004年1月に東京地裁に地位保全等の仮処分を申し立て、一か月後には裁判所は、解雇を無効として学園に賃金仮払いを命じる決定を下しました。続いて、3月には、本訴を提起し、1年後の2005年3月に東京地裁は、解雇を無効としたうえ、さらに、「解雇を強行し、その後団体交渉、東京都労働委員会における斡旋手続、裁判所における仮処分手続きを経ても、原告が職場へ復帰することを拒んだ」ことが不法行為を構成するとして、学園に対して慰謝料の支払いまで命じました。学園側は控訴しましたが、9月には和解が成立し、学園は、K先生を「他の教員と比較して不利益な取り扱いをしないことを約束」し、K先生は、職場復帰を果たすこととなりました。完全な勝利的和解です。
解雇通告から2年数か月間、当事者であるK先生にとっては、長い闘いだったかもしれません。ただ、申立てから一か月での仮処分決定、提訴後1年での判決は、通常の解雇事件と比較すれば、裁判所は極めて迅速に判断を下したものと評価できるでしょう。
仮にその意見が学園(使用者)とは異なる意見であっても、意見を述べただけで解雇することなど許されない。至極当然のことですが、当然のことが当然のこととして認められた結果の「スピード解決」でした。
(この事件は江森、渕上が担当しました)