一昨年病気をした際に大学時代の友人から、池波正太郎の「剣客商売」の新潮文庫1冊をもらったことから、時代小説にはまってしまった。

 ご存じのとおり、池波時代小説の多くは江戸時代の切絵図を見ながら書かれている。

 2003年は「江戸開府300年」ということで、江戸時代の地図と今日の地図を対比した出版物が多数出ており、私も何冊かこのような地図を買ったが、その内容で興味をもったことのひとつは、江戸時代からの坂が今日もたくさん残っていることである。

 私は小学校6年まで千代田区の靖国神社の裏の富士見町に住んでいた。すぐ近くに江戸時代は富士の見えた「富士見坂」があった。さらに近くには傾斜のきつい「九段坂」、「冬青木(もちの木)坂」そしてその中間に新しく出来た「中坂」という坂があった。既存の坂の間に新しい坂が出来ると「中坂」とつけることは全国共通のようである。

 その後中学1年から大学2年までは、新宿区の柳町のそばの南榎町に引っ越した。この地域には「箪笥町」「甲良町」「納戸町」など江戸時代の名前が残っており、柳町には「焼餅坂」という坂があったが、やき餅屋があった事から江戸時代になづけられたといわれている。

 その後私は一時、横浜の日吉に住んだが、結婚して以来30年は現在の世田谷区の九品仏に住んでいる。近くの多摩川ぞいには江戸時代からの坂が無数にある。例えば「寮坂」という坂が近くにある。これは僧侶の学寮(修業所)が近くにあったからだそうである。

 ちなみに、わが事務所の前を四谷から市ヶ谷にかけて下る坂は「高力坂」である。この坂の西に「高力」という旗本が住んでいたことから名づけられたもので、この坂は女子国際マラソンの最後の最後の難所にされている。