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最高検の検証結果に思う

 

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もうずいぶん昔の話ですが、いわゆる痴漢冤罪事件の弁護を担当したことがありました。
電車内での痴漢行為を疑われたその男性は、全く身に覚えのないことで裁判にかけられたのですが、当然ながら捜査段階から一貫して無実を主張し、公判でも無実を訴えました。
しかし、当時はまだ痴漢事件での科学捜査などほとんど行われていない頃で、最高裁まで争いましたが、最終的には残念ながら有罪判決が確定してしまったのです。

ここでは、その判決の当否に言及はしませんが、無実を主張したことが判決にどのような影響を及ぼしたのか、という点を紹介したいと思います。

憲法38条は次のように定められています。

何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

自白の強要を禁止するとともに、証拠としての自白に一定の制限を設けているものです。いわゆる黙秘権も、この規定によって保障されています。
かつて「自白は証拠の王様」と言われた時代に、自白偏重が高じて、自白を獲得するための苛酷な取調べが横行したり、客観証拠の捜査がおろそかになり、結果として冤罪を招く結果となったことなどの反省から、こうした規定が設けられるにいたりました。
「自己負罪拒否特権」という言い方もされます。

他方で、自ら罪を認めて反省の態度を示す、ということには、一般的に一定の評価が与えられています。
罪を免れたいという欲求を乗り越えて自ら罪を認めるというのは、わざわざ自分に不利な行動に出るものだから、その自白内容は真実性が高い、と言われます。
また、自ら罪を認めるという態度は「潔い」と評価されることが多いでしょう。
その上、反省の態度とか、再犯に及ばない誓約などがあると、その分刑罰を軽くしてもよいのではないかという考えにもつながります。反省や再犯防止は、刑罰の目的の一部でもあるので、刑罰を与える前にその効果が出ているのならよいではないか、ということでしょう。

憲法38条の規定にもかかわらず、とにかく、自白はいいことだ、という評価があることは厳然たる事実です。

そこで、その裏返しとして出てくるのが、無実を主張することに対する評価です。
実際に無実が明らかになって無罪判決を得られれば、無実を主張したその態度は、不当な圧力に屈しなかった立派な態度として評価されるでしょう。
しかし、残念ながら有罪と認定されてしまったときはどうでしょう。
無実を主張するなんて、事実解明に非協力的だ。卑怯だ。反省がない。あわよくば罪を逃れようとする態度からすれば、きっと同じようなことを繰り返すに違いない。
実にひどい言われようです。

実際、公判における検察官の論告ではそのような指摘がなされるでしょう。
有罪を認定した判決の中で、裁判官が量刑の理由(刑を重くした理由)として、そうした点を指摘するかもしれません。明示はしなくても、初めから自白して反省の態度を示していた被告人に比べれば重い刑罰を与えることはあるでしょう。

被告人本人の実体験として、指摘されている犯罪行為に関わっていないという確信があっても、裁判という手続の中でそれが「正しく」認定されるかどうかは確実ではありません。
裁判というのは、過去の出来事を、証拠に基づいて事実認定して、そこに法を当てはめるという作業であり、認定された事実も「法廷における真実」であって、本当の意味での真実と食い違うことはありうることです。
検察官から見た事実が、別の角度から見れば真実ではないということもありますし、裁判官もしかりです。
しかしそこは、三人寄れば文殊の知恵のことざわのように、検察官、被告人(弁護人)、裁判官が、必死になって事実認定に挑むことで、「エラー率」が低下するのです。そのはずなのです。

そうであれば、真実はこれだと主張すること、無実であればそのように主張すること自体にリスクを負わせてはならないでしょう。
自分は決して犯罪行為に関わっていないと確信していても、もしかしたら有罪認定されてしまうかもしれない。ならば最悪の事態を回避するために、ウソでも自白して反省の態度を示した方が結果として有利なのではないか。
そのように思わせる要素があるならば、裁判は真実究明を断念することになってしまいます。

無実の主張が通らなかった被告人を、反省がない、として非難することはいかがなものでしょうか。

今日最高検察庁が「清水市会社重役宅一家4名殺害の強盗殺人・放火等事件」(これまで「袴田事件」とされてきたもの)についての捜査や裁判の問題点に関する検証結果を公表しました。
日頃「負け慣れ」していない検察庁が、無罪判決という、いわば検察庁にとっての敗訴判決を受けたことから、どのような検証結果が出てくるのか、被告人には何かと「反省」を迫る検察庁がどんなコメントを発表するのかと思いましたが、「検察官の訴訟活動に問題はなかった」ということが繰り返され、行間には負け惜しみがにじむものになっています。
ざっと読む限り、無実の人を長期にわたって死刑囚にしていたことの反省は見受けられないようです。
負けてもリスクを負わない検察庁は、無実を主張する被告人、弁護人、被告人の家族等々とは、背負っているものがずいぶん違うようですね。

 - 日記

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