年の秋期の季節の変化は早く、いつも11月中旬から始まる紅葉が、10月から木々の葉の色が変わり始めていました。昨年11月3日、4日とある旅行に同行し、京都は、嵯峨野の「落柿舎」に行ってきました。
柿主や 梢はちかき
あらし山(去来)
落柿舎は、芭蕉の高弟、向井去来の遺跡であります。芭蕉がここを初めて訪れたのは元禄2年(1689年)で、ここには3度来庵し、元禄4年には、4月18日から5月4日まで滞在し「嵯峨日記」を誌した、と説明書きにありました。
この落柿舎へ行くのには、嵯峨野の竹林に分け入って奥に進むとパッと開けた場所に出て………畑の向こうには甘柿と思われる柿の実が赤く、高く沢山ついており、生垣の上に草葺き屋根が見え、そこが落柿舎でした。周りは小倉山の麓、鬱蒼とした杉木立で西隣は嵯峨天皇皇女内親王の墓に接し、そして前は畑で広く開けて、初夏は麦畑らしい(俳句にこの麦畑を読んだものがあった)、秋は貧弱な小豆畑として、しかし雑草が高く茂っていました。因みに畑の角には「小倉餡」発祥の地と記された案内板が建っています。
落柿舎の庵の中は、誠にこまこまと小さく、また小さな土間があり「いろり」が設えられており冬の厳しさを物語っています。次庵もありますが、ここは現在も句会に提供されている旨案内されておりました。
落柿舎の庭には、小さな句碑がいくつか建ち、紫式部の実に埋もれていました。
里ふりて 柿の木もたぬ
家もなし(芭蕉)
さざん花の 光もあわし
落柿舎の庭