昨年10月9日、最高裁判所第一小法廷は、大阪・泉南アスベスト国賠訴訟で、国の責任を認める原告勝訴の判決を言い渡しました。
 アスベスト(石綿)は、耐熱性、耐久性、耐薬品性、電気絶縁性などに優れた「奇跡の鉱物」として、建設資材や電気製品等に用いられていました。しかし、微小な石綿の繊維は空気中にも飛散しやすく、これを吸い込むことで肺癌や中皮腫、石綿肺といった深刻な病気を招くことが指摘されていました。今回の最高裁判決は、国がその規制権限を適切に行使してアスベスト被害を防止すべきであったのに、1958(昭和33)年時点で、石綿工場に局所排気装置の設置を義務付けなかったことが国家賠償法1条1項の適用上違法であるとして、国の責任を認めたものです。
8aeffd4ccc9a8f226ddf9a36946591c9_s 今回の最高裁判決を受けて、厚生労働大臣が原告団に面会し、直接謝罪することとなりましたが、なぜ国のアスベスト対策は遅れてしまったのでしょうか。
 大阪府南部の泉南地域は、戦前から石綿紡績工場が集中し、家庭でも石綿加工の内職が広く行われるなど、一大石綿産業地域となっていました。石綿産業は戦前の軍需を支え、戦後の経済発展を支えてきました。その一方で、国は、独自調査の下で深刻なアスベスト被害の実態を把握していながら、経済優先の方針を選択し、規制や対策を怠ったのです。
 この構造は、アスベスト問題にとどまらず、数多の公害問題や原発再稼働問題などにもそのまま当てはまります。経済優先の結果がもたらした取り返しのつかない被害から目をそらしてはならない。今回の最高裁判決を今後の教訓とするか過去の問題とするか、国だけでなく、現代を生きる私たち皆が問われているのです。