2013年は、32年にわたって教科書訴訟をたたかった家永三郎さんの生誕100周年にあたったため、家永さんの思想、歴史、教育、生き方について多面的に考える企画が持たれた。今年生誕100周年を迎える丸山真男氏は、生前、家永さんに対して、友人として「君は、存在自体に価値がある。」と励まされたという。
私ども東京中央法律事務所のメンバーの多くは、家永さんが提起した教科書検定の違憲、違法を問う教科書訴訟に1965年から1997年までの長期間にわたって代理人として関与してきた。あの病弱な体で、人生の後半生を懸けてたたかいきったその精神力、その生き方から多くのことを学ばせていただいた。
家永さんは、教科書訴訟の人類史的意義について次のように述べておられた。精神的な自由を国家権力が侵害することへの争いとして、日本国憲法の人権章典を武器としてたたかわれているが、それは、直接の目的であって、もっと広い意味では、日本国憲法が人権の保障と同時に戦争放棄・戦力不保持という平和主義を不可分の関係としてもっているところから、『再び戦争の惨禍が起こることのないやうに』という点に究極のねらいがある。精神的自由、真実の擁護、戦争放棄は、決して日本国内だけで主張されているのでなく、世界史的な規模をもってあらわれている。核戦争等による世界人類の滅亡の危険に対して、われわれは新しい責任を負わなければならないのであって、今日こそ我々は作為・不作為の責任を自覚すべきではないか。
家永さんは、長期間にわたる訴訟を続けるなかで、その時々の印象を和歌に託していた。
「かちまけは さもあらばあれ、
たましいの
自由をもとめ われはたたかふ」
この和歌は、家永さんの生き方そのものを示したものと思われる。家永さんは、学生時代、京都、奈良を旅行した際、見学した仏像のすばらしさに感動し、そのような優れた仏像を生み出した時代精神を探求することが研究者としての出発点となったという。その後、日本思想史の研究を続けるなかで、親鸞、道元ら鎌倉新仏教の開祖らの思想を、日本思想史上最も高く位置づけるとともに、世界の思想との関連でも位置づけ、自らの生き方にも大きな影響を与えた旨述べておられた。
日本国憲法の危機が言われる今日にあって、今、一度、家永さんの思想、生き方についていっしょに考えてみませんか。