昨年(2007年)11月、オリンピック開催を翌年に控えた北京を訪れた。北京首都国際空港から市内中心に向かうバスの車窓からの風景でまず圧倒されたのは、立ち並ぶビルの圧倒的な大きさであった。東京にも高層ビル群は存在するが、北京には地震がないからなのか、1つ1つのビルのスケールが全く違うのである。しかも、あちこちに未だ建設途中のビルがあり、それらが全て完成した後の街の姿は想像を絶するものである。また、一昔前まで北京のイメージは洪水のような自転車の量であるが、現在は、それが自動車に変わり、あちこちで渋滞を引き起こしていた。他方、心配されていた市民の公共マナーについてであるが、当局の「指導」の成果か、地下鉄に乗っても、あまり割り込み等はなく、トイレも思いの外清潔で、ポイ捨てされたタバコの吸い殻等もほとんど見かけなかった。最近、中国の「反日教育」とその反動としての日本人の「嫌中感情」が取り沙汰されているが、このような中国の発展をみるにつけ、日本としても、もはや「好き」「嫌い」で付き合いを決めたりできるものではないことを実感させられた。また、感心させられたのは、日本語を話せる人が至るところにいるということである。もちろん、日本人観光客相手に日本語を話す人がいるのは当然であるが、翻って日本について考えたとき、どれだけ中国語を操れる人がいるのか心許ない。私には、中国「残留孤児」訴訟に携わってきたため、「孤児」2世の知人がいるが、彼らは、中国で生まれ育ち、日本に「帰国」したため日中両国の文化と言語を身につけている。日中友好のためにも、また、日本の「国益」のためにも、彼らの能力がもっと生かせるよう日本政府には考えてもらいたいと感じた。