昨秋9月28日に最高裁判所(第二小法廷)から、障害学生無年金訴訟について、原告障害学生側の上告を棄却するという判決が言渡されました。
 2001年(平成13年)の提訴から実に6年もの後に、裁判所側から示された最終判断は、「国民年金法を制定した国会には『広範な立法裁量』が認められているから、国民年金制度の上で学生をどう取り扱うかは、余程の不合理がないかぎり、裁判所がとやかく言えない」というもので、その結果、裁判手続の上では原告障害学生側の敗訴が確定することとなりました。

 ところで、この訴訟で最初に出された東京地裁の第一審判決は、「障害学生やサラリーマンの妻だけを無年金の状態に置いた国民年金法の取扱いは、法の下の平等原則に違反しており、しかも、その違憲状態を20年にもわたって放置した国(政府・国会)には、違法な『立法の不作為』がある」という画期的な違憲判決でしたが、第二審の東京高裁は国側の控訴を容れて、「国(政府・国会)の制定した国民年金法に、問題はない」とする逆転判決を言渡したので、この判決を不服として、原告障害学生側が最高裁に上告を申立てていたというわけです。

 しかし、幸いなことに第一審の違憲判決に引き続き、新潟や広島の地方裁判所でも、「国民年金法に欠陥があり、学生の無年金状態は放置できない」とする判決が示されたことが契機となって、ようやく国会(の野党勢力)が動き出し、2004年(平成16年)12月には、原告ら障害学生やサラリーマンの主婦で長年無年金状態に置かれてきた人達(2万4000人)を対象として、特別の年金を支給するという「特別障害者給付金法」が、議員立法の形で成立する運びとなったのです。

 かような次第で、国民年金法の不備から年金制度の谷間に放置されてきた学生達が、自らの力で起こしたこの裁判事件は、「裁判では負けたが、運動では勝利できた」という『制度改革訴訟』の歴史に新たな1頁を加えることとなりました。