北京オリンピックがいよいよ開幕した。チベット問題があったり、四川省大地震があったりで、開幕に漕ぎつけるまでには少なからず波乱もあったが、ともかくも国際的なイベントであるオリンピックが無事に開始されることになったのは、喜ばしい限りである。
思えば、中国の近代百年は大変な混迷と悲劇の歴史であった。少し想い返しただけでも、19世紀半ばからはアヘン戦争(1840年)や太平天国の乱(50年)など、清朝末期の混乱が絶えず、これに乗じて欧米列強の侵出・蚕食が始まり、20世紀に入っては、孫文らによる辛亥革命(1911年)の成功でついに清朝は滅亡し、中華民国が誕生したが、その後も国内での血腥い覇権争いが繰り返され、第二次大戦後(48年)に毛沢東らによる社会主義革命が成し遂げられ、中華人民共和国が成立をみたことによって、ようやく安定と平和の時期を迎えることができたわけである。
この間、わが日本はどうしていたかといえば、日清戦争(1894年)から始めて満州事変(1931年)→日支事変(37年)→ノモンハン事件(39年)というふうに、実に半世紀にわたって中国大陸を政治的に脅かし、軍事的に侵し続けてきたのである。
だからして、1941年に米英等を相手にして太平洋戦争を開始するまでの半世紀は、わが国で「戦争」といえば、ひとえに中国大陸に向け、あるいは中国大陸を戦場とした軍事行動を意味したのであって、「徐州、徐州と…進んだ」軍馬は勿論のこと、「天に代わりて不義を討つ忠勇無双の我が兵」も、すべて中国戦線へ動員される兵馬であり、軍隊であった。
このような中国近代百年の歩みを顧みると、その中でいやというほどの深刻な苦難と屈辱を与えられ続けてきた隣国中国の人々が、いまその恩讐を越えて、日本人を含む世界各国の人々を招き、国際的なスポーツ祭典を挙行するというのであるから、その深い歴史的な意義に思いを馳せ、平和の祭典を慶ばずにはおれないのである。