1 暑い夏がきて、盂蘭盆が来ると、成人にも達しないで従軍看護婦となって、北京の陸軍病院で病気を得て死亡した姉のことが思い出される。姉の遺骨が田舎に戻ってきた時も、暑い夏の終わり頃の、日であった。私は未だ幼かったが、この時のあの暑い日と、しきりに夏の蝶が1羽私にまとわりついて離れなかったこと、そして母の悲嘆に暮れて取乱した様子がセピア色に悲しくも思い出される。
2 先日、かつて当事務所に所属して、肩を並べて働いた大森典子弁護士が、『歴史の事実とむきあって―中国人「慰安婦」被害者とともに』(新日本出版社)を上梓された。これは、日本軍の手で「慰安婦」とされた中国人被害者の、日本の裁判所での「損害賠償裁判」の苦労を語って著書としたものであるが、これを機に、大森弁護士に来て戴いて、事務所でも話を聞く機会を持った。勿論この裁判には、当事務所の弁護士、例えば斉藤弁護士・菅沼弁護士も最初から共に加わっていた。
3 大森弁護士が扱った、中国人慰安婦事件の、その被害者の被害の実態が改めて、大森弁護士の話や著書で認識させられた次第である。個人の後遺障害的被害に限定して言えば、その精神的被害は「PTSD」という形で、現存しているのであった。例えば、その被害者=母親は必ず自分の子供に対する「暴力」として「再現」されているという話は、一層心が痛んだ。話によれば、被害者=母親は、自分の最愛の子供を、突然殴り倒したり、包丁を持って追いかけ回したりするという。その対象にされた子供達も何故自分のお母さんが、自分を虐めるのか理解が出来なかったが、今回の裁判を通して、初めてその原因が、そして如何に大きな心身の傷として一生残るのか理解出来たという。
4 残念ながら、日本の裁判所は、これら日本軍が大きな被害を与え、現に苦しんでいる被害者を、その被害事実は認めながらも「救済」することはしなかったのである。誠に残念である。日本の裁判所もそうだが、責任ある政治家も、こと「慰安婦」問題では、日本の国家の責任を否定し、アメリカ議会によって「決議」(かかる決議等は「アメリカ」だけではない)され恥を「世界」に晒している。また個人的に思うに、現に戦争に従軍し、帰国した日本兵士で、自分たちの中国の人々に対する「虐殺」「慰安婦」などの加害行為を「反省・悔悟」する感情を持ち合わせていない人に、多く会うのである。これは戦前の「教育」の偏頗性が原因の一つではあろう。しかし私は、戦争体験者(殺人者ら)には、その人間性回復のため、組織的再教育する必要があったし、現にあるのではないかと強く思ったのである。人道に反する行為の犯罪性も知らせたい。平和実現に必ずや寄与するであろう。