「もう、この話は時効だから。」こう言って、多少都合の悪いことでも、そんな昔のことは問題にしてくれるなと言い訳をすることは日常生活でもよくあることです。法律の世界の「時効」が時の経過を権利や義務の消長にかからせているのも基本的には同じ理屈に基づきます。
この「時効」の制度には、大きく分けて刑事に関する時効と民事に関する時効がありますが、最近ニュース等でよく耳にするのは刑事に関する時効のうちの「公訴時効」という制度です。これは、犯罪を行った人を刑事被告人として起訴することできる期間を定めたもので、犯罪の法定刑の長さによって、起訴できる期間を刑事訴訟法が定めたものです。
公訴時効に関する刑訴法の定めは、平成17年に見直しがされ、重罪に当たる罪について期間が延長されました。現在では死刑に当たる罪は25年(延長前は15年)、無期懲役又は禁固に当たる罪については15年(同10年)等となっています。実務上問題になるのは、殺人罪等死刑が法定刑にある重罪事件の時効です。
しかし、平成17年の法改正以前の事件にはそれ以前の規定が適用されるため、現在被害者の遺族等が時効の延長を求めている重罪事件は、事件発生から15年程度しか経過していない事件が多いのです。先日、新たなDNA鑑定の結果、受刑中にもかかわらず再審無罪がほぼ確実となった足利事件(幼児殺害事件)は平成2年の事件ですが、真犯人については既に公訴時効が完成しています。これは旧規定が適用され15年の公訴時効の事件となるからです。
公訴時効の制度がある理由には様々な説明がされます。時間の経過による事実状態の尊重や社会的な影響の減少を考慮すること、証拠の散逸により冤罪の危険性を防止すること、限界のない長期捜査による国民の経済的な負担を解消すること、長期間の逃亡により犯人へ一定の社会的制裁がなされているとみなされること、などの理由をあげる見解が多いようです。
わが国の法制は、期間に違いはあるものの、全ての犯罪を公訴時効の対象とする形をとっていますが、諸外国の法制は必ずしもそうではありません。たとえば、アメリカやイギリスには悪意の謀殺には時効の適用はありません。大陸法ではドイツが1965年に謀殺罪に対する20年の時効を廃止しているのは有名です。これは、ナチス時代の犯罪が戦後20年経って国内法での時効を迎えることとなったため、そのような事態を阻止するため一般刑法犯も含めこの罪に対する時効を廃止したといわれています。この他、国際法の世界では、戦争犯罪(人道に対する罪)に対する時効の不適用を定める条約などがあります。
このような他の制度との比較だけでなく、国民感情の推移、重罪事件に対する刑罰の動向(特に死刑制度との関係)、DNA鑑定をはじめとする捜査手法の変遷などの事情を考慮すると、わが国の時効制度についても今後見直しの議論がされることは避けられないと思います。重罪事件の被害者の感情を尊重することは、最近の刑事司法の運用の中での被害者保護策の延長線上にもあるものです。そして、足利事件の事例など刑事冤罪事件の例も、この議論にまた一つの波紋を投げかけるものとなることは間違いありません。