前号の拙稿「浦島太郎」考に続けて、「蛍の光」を読んでの感想を述べさせて頂く。
小学唱歌「蛍の光」といえば、小学校に限らず多くの学校等で卒業式などの日に唱われてきた有名な歌曲であり、日本人でこの唱歌をうたった経験がないという人はまずないであろう。「ほたるのひかり、まどのゆき。書(ふみ)よむつき日、かさねつつ。いつしか年も、すぎのとを、あけてぞ、けさは、わかれゆく」「とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもう、ちよろずの、こころのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたうなり」…と、ここまでは誰しもが、幼なごころに情感を籠めて口ずさんだことと思われる。
だが、このあとに3番、4番と続き、「つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとおく、へだつとも、そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため」「千島のおくも、おきなわも、やしまのうちのまもりなり。いたらんくにに、いさおしく。つとめよわがせ、つつがなく」というフレーズが伴われていたことをご存じの方がどれほどおられたか。
1番、2番の、友情と哀惜に満ちた温かいトーンに比べ、3番、4番の、国家防護の任務に、いきなり高調子に説き及ぶ趣きとは、一体どう繋がるのか。ましてやこの唱歌の原曲が、スコットランドの民謡「久しき昔 Auld Lang Syne」であったとされるにおいておや。
この小学唱歌は明治14年(1881年)に文部省音楽取調掛とかかわりのあった文学者達によって作詞されたと伝えられるが、この後半の詩句から、当時の「富国強兵」に走り出した日本社会の雰囲気を感じとるのは、私の思い過ごしだろうか。