昭和の高度経済成長の影で深刻な公害被害と環境破壊が発生し、四大公害裁判に代表される公害訴訟が全国で提起されるようになったことは社会科の教科書でもご存知と思います。全国公害弁護団連絡会議(公害弁連)は、そうした公害被害者の救済と公害根絶のため、弁護団相互の交流や支援体制の確立、実践的な法理論の構築、被害者・支援団体・研究者との連携の強化等を継続的に行うことを目的として、1972年1月に結成されました。
公害訴訟は、水俣病やイタイイタイ病をもたらした水質汚染、喘息を引き起こす大気汚染などだけではなく、食品公害、薬害、住環境を脅かす公共事業、近年ではアスベスト問題や原発事故など、途切れることなく続いてきました。私が関わっている基地空港騒音もそのひとつです。先の総選挙では「成長と分配」が争点になりましたが、成長に伴う副作用としての公害問題から目を逸らすことは許されません。被害者に寄り添い、裁判を通じて被害救済を図ることは、弁護士にしかできない仕事でもあります。
昨年11月、「被害者とともに50年-公害弁連の闘いの継承と未来への展望-」と題して、公害弁連発足50周年の記念集会が開かれました。私もパネリストの1人として登壇しましたが、公害訴訟の歴史と責任の重さを改めて感じさせられました。
公害弁連50周年
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