規制緩和やグローバリゼーションの行き過ぎは経済活動だけでなく社会全体にも大きなひずみを生み出しました。他方、競争自体が問題なのではなく、行き過ぎを防止したり、競争から脱落した人へのセーフティネットの確保が問題だという擁護論も根強いようです。たしかに、まじめに働く者が馬鹿をみるという世の中は公正な社会とはいえません。
社会ダーウィン主義という言葉があります。進化論の適者生存の自然法則は人間社会にも当てはまり、強い者が勝ち弱い者が負ける競争原理は、弱肉強食の自然界の法則と同様だとして、競争を合理化する議論です。他の動物と違い、人は頭がよいので過度の競争にならないよう抑制できるのがジャングルとの違いだというのでしょう。
しかし本当にそうでしょうか。私がここ数年でもっとも感銘を受けた本の1つに、フランス・ドゥ・ヴァール著『共感の時代へ』(紀伊國屋書店)という動物行動学の本があります。この本は、ダーウィンの唱えた進化論の真髄は適者生存という点にあるのではなく、進化の源泉は不適者(相対的弱者)に対する共感にこそあるのだということを説いた本です。霊長類に限らず様々な動物の生態を例に挙げ、進化の過程には他者への「共感」を求めるというDNAのシグナルがいかに力強く働いているのかを紹介しています。我々のDNAは遠いご先祖様の昔から、弱いものを蹴落として自分が生き残るというのではなく、弱いものを助けながら共に生き残るという指向を強く持っているのです。この意味からすると、社会ダーウィン主義という言葉は、進化論の正しい理解とは程遠いネーミングだと著者は批判しています。
震災以来、「絆」という言葉が良く使われます。被災者への「共感」を表すこの言葉も、我々の中にあるDNAに由来する根源的欲求の表れなのだと考えると、自然に気負いなく向かう合うことができるのではないでしょうか。